ここは青山 裕企氏の
スクールガール・コンプレックスから妄想したSSを置く場所です。
未読の方、また自分の世界を壊されたくない方、二次創作が苦手な方はお引取りいただきますようよろしくお願いします。
葛藤・友情・恋愛・NL/GL・その他見境なく取り扱いますのでご注意ください。
当ブログは各公式様とは一切無関係です。また誹謗中傷が目的ではありません。SS中に不適切な表現があった場合も、表現方法の一部と飲み込んでいただけると幸いです。なんとなく非学生推奨です。
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044
何で私がこんなこと。そう言いながら彼女の指は正確に情報を消化する。彼女と一緒にキーボードの前に張り付いてもう4時間。数分の休憩を取りながらだったが、毎日ぼんやり教師の声で舟を漕いでいる身としては相当なハードスケジュールだ。そろそろ目の限界が近い。彼女も頻繁に眼鏡をはずしてこめかみを揉んでいる。
「目、やばい」
目の休憩がてら、向かい合わせに座る彼女を眺めた。細い指が小さな頭蓋骨をはさみこんで、指先が白くなるほどの力をこめて動かされる。薄い皮膚の下に浮かぶ血の筋が浮き上がっていて哀れな気持ちと、それさえもかわいいと思う気持ちがこみ上げる。小さいものを愛でるのは女子にはままあることだ。
「これでまた視力落ちたら、あんた眼鏡買ってよね。それかレーシック」
「え、まだ視力おちてんの?大丈夫?」
「下がり放題よ」
そう言って彼女は席を立った。まだ資料は広げたままだったので休憩と目星をつけ、私は足元に置いた鞄からさりげなく財布を取り出しながら「まって、行く」と彼女の背中に声をかけた。
「鍵するの?」
私が取り出した生徒会室の鍵をみて彼女が言う。さっきまでは交互に休憩を取っていたので鍵が必要なかっただけだ。「一応生徒の個人情報載ってるし」と暗に資料を指しながら、私は彼女の気のない返事が終わらないうちに施錠する。
来週から春休みで今日は午後の授業もなく、校舎にはいつものひしめくような人の気配がなかった。静かな階段をぽつぽつと会話しながら降りる。彼女は普段からだが、拗ねたような話しかたをするので私はひたすら笑ってはぐらかした。彼女もきっと私の適当さを知った上でそういう話し方するんだろう。そういう甘え方をされるのは嫌じゃなかった。そうやってわずかでも必要とされていることを見つけて自分の存在意義にするのは昔からのよくない癖だとは分かっていたけれど、そのほうが私は居心地がよかった。
静かな校舎のリノリウムに上履きの音が響く。普段は小さなざわめきにまぎれて気にもとめないのに、二人だけの廊下では大きく聞こえた。何も悪いことなんてしてないのになんだか後ろめたい気がして、どちらからともなく少しずつ声を潜めた。上履きの擦れる音にかき消されそうな彼女の声は相変らず不機嫌なままで、そしていつもよりほんのすこしだけ低くかすれていた。私はもっと彼女に近づいて、その声をすぐそばで聞きたいと思った。
自販機で買った熱い缶を、お互いに指の先まで伸ばしたセーターでくるんで生徒会室に戻った。
椅子に座るなり彼女は缶から手を離し「熱い、熱い」と指先に息を吹きかける。私はそんな彼女を笑いながら伸ばしたままの袖でプルタブを引いて一口含んだ。缶紅茶特有の甘ったるさが妙においしい。私は缶を机において、それからセーターを脱いで袖を捲る。
「なに?超やる気?」
「ん、思ってたより暑くなってきた」
そう手で仰ぐふりをすると、彼女は自分の手のひらを私の指に押し付けた。缶の温かさを受けた手は私とそんなに変わりない温度で「あれ、わかんない」と笑った。彼女は気付いていない。私はさっき後ろ手でこの部屋の鍵をかけたのに。こうも無邪気に振舞われると、私がつつかずにいられない事を彼女はそろそろ理解したほうがいい。私は重ねた手のひらを握り締めて彼女を捕まえた。
彼女は少し驚いたけどまだ微笑んだままだったから、私も彼女に微笑みを返してその指を引いた。
043
服の中の違和感を追って指を動かす。不意に指先に服が引っかかった。下着の隙間にもぐりこんだ髪の毛をつかみあて指を引き抜く。息でそれを吹き飛ばし、そのまま指先を見つめると左手にわずかなさか剥けができていた。私はいそいそとポケットに手を突っ込む。取り出したチューブは初めて手にしたときから随分軽くなっていた。チューブを小さく折りたたんで、一苦労して絞り出した桃色のクリームを私は手にすりこんだ。
このハンドクリームは、冬の頭に友人に貰ったものだ。彼女は私のほったらかしの指先をみて顔を顰め、放課後私の手を引いてドラッグストアに連れ込んだ。慣れた足取りでハンドクリームやリップクリームの並ぶ棚目指して歩き、彼女は自分が使っているクリームと同じシリーズを私に示した。どれでもいいよと私が言うと彼女はそのくらい自分で決めろと私を叱り飛ばした。私は彼女の剣幕に押され、色とチューブの柄だけで製品を判断するという難問をどうにかやってのける。それからレジに並んで財布を取り出すと、彼女は私の手を押さえさっさと代金を支払った。おつりと商品を受け取った彼女は私に包みを押し付けながら、女の子にとって指先と髪の毛と唇が大事かを訥々と私に言い聞かせた。私は体は思うとおりに制御できれば一等品としか思っていなかったので、彼女のかわいらしい話を全部理解することはできなかったけど、彼女が私のことをひどくいたわってくれていることは分かったので、私は彼女の話をにこにこして聞いた。
しばらく話して気がすんだのか、彼女は最後に「それ、去年の誕生日プレゼントだから」と呟いた。「だから今年の誕生日が来るまでに使い切ること」といった。嬉しい気持ちの私は笑顔で頷き、そうして彼女はやっと眉間の皺を緩めて笑った。
彼女は私の誕生日が知らない間に過ぎていたのを根にもっていたんだと、その日やっと気付いた。私は長期の休みには自宅に戻ってしまうから新学期まで彼女とは会えない。私の誕生日はそれまでに過ぎてしまう。私の手のひらの熱で、クリームの桜の香りが立ち上がる。けれどそれはまやかしの香りで、窓の外の桜のつぼみはまだ硬いままだ。
私のポケットのチューブの中身はもうほとんど残っていない。休みが明けるまでにはきっと空になってしまうだろう。私の誕生日が過ぎて再び学校に舞い戻るまで、彼女と携帯電話でしかやり取りができないことを思うと、なんだか妙に寂しくなった。
042
彼女はバランスを崩さないうちに強く椅子を蹴って宙を舞った。彼女の丈の短いスカートが翻る。露わになった腿がばたつく。ふと私が書いた彼女の上履きの笑顔と目があった。けれどそれも一瞬で、外から吹き込む風で舞い上がるカーテンの隙間から彼女は外へ飛び出した。恐怖のものとも歓喜のものとも取れるその声は重力にひっぱられて小さくなって、私は急いでカーテンをかき分けて階下を見下ろす。校庭の砂埃に埋もれた彼女の姿を見つけ、思わず大声を出して彼女の名を呼んだ。
こらえきれないもどかしさを昇華する術を知らない彼女は意味のない行為を繰り返す。自分の許容範囲を踏まえて、その限界ギリギリを渡ってやっと安堵する。何度も繰り返す意味のない行為で安心している。私はそんな彼女の姿にしばしば遭遇していた。
私の声にすぐに彼女は立ち上がり、満面の笑みでイエーイとピースをくれた。
「ほらねー、言ったでしょ。こんぐらい大丈夫だってー」
「たまたま大丈夫だっただけじゃんよ、バーカ」
「たまたまもって、前も前もその前も大丈夫だったもん。」
「……うるさいなー、もー早く戻ってくればー?」
「へいへーい」
彼女は土埃に塗れたスカートを軽く払ってすぐに校舎の非常階段へ走った。私は彼女が出てくるであろうドアに向かう。途中でまだ校舎に残っていた知り合いに「あ、さっき飛んだ子あんたの友達?」と声を掛けられる。私は「やだよあんな早弁するバカと友達とか」と答えた。その子は「なるほど」といってさもおかしそうに笑って去った。
金属製の重いドアの向こうで彼女の足音が聞こえる。私はドアノブを握り締めて彼女を待つ。そして彼女の足音が一番近くまで近づいた瞬間にドアノブに力を込めた。
彼女はあれ?と声を漏らす。それからすぐに、ドアから激しい音がした。おそらく彼女はドアを蹴ったのだろう。痛い!と小さく叫んで、それから一瞬間を置いてガチャガチャとノブをまわした。
「おい開けろ! そこにいんだろっ」
ひたすらノブをまわす彼女の罵声を尻目に、私はドアから遠ざかった。彼女は些か人がよすぎる。一度ノブを引いて開かなかったくらいで、もうずっと私がドアを抑えているとは限らないのに。それでもずっと一人でノブを回し続けるのだ。ドアから大きく五歩離れて、それから十数えて「おつかれさまでーす」と声を掛ける。その声の遠さで彼女もやっと私がもう既にドアを押さえていないことに気付いたようだ。勢いよくドアをひらいた顔は赤く、私のにやついているはずの顔をみて彼女は眉間に深く皺を寄せ唇を尖らせた。
私は彼女に近寄り、握り締めすぎて白くなった指先を取って「バカは大変だねえ」と笑いかけた。彼女は何か言いたそうにしたが言葉にならなかったようで、小さく唸ったあと私の肩口を握りこぶしで叩いた。彼女は私をいくら心配させればいいのだろう。どれだけ私が心配しているか、どうやったら思い知らせるだろう。扱いづらい彼女はいつまで経っても私の心の大半を占めたままだ。
041
「だって、服の皺かくの面倒なんだもん」
ドアの向こうで、誰かがその部屋に入り込み、ガタガタと椅子を移動させる音がした。楽しそうな声まで聞こえる。一足先に課題をやり終えた私は美術準備室でパレットをたわしでこすっていた。乾燥してこびりついた絵の具は、まだらに染まったパレットからなかなか落ちない。私はそれを落とすことにすっかり飽きていたので、流しに椅子を寄せ、水を細くたらしてパレットを洗った。ぼんやりと運動部の子達が走り回る窓の外を眺め、そして隣の部屋のひそやかな声に耳を傾けた。
「まあ、それは、確かに水着にも皺あるっちゃあるけどさー。なに、じゃあ脱ぐ?」
「…………」
「ちょっと、ゴメン冗談だって。いいじゃん水着でもー。あんたこの後どうせ体育の補習でしょ?」
たぶん同じ美術部の誰かだろう。私は幽霊部員というか、そもそも気が向いたときにしか部室には顔を出さないのでその声が誰なのかはわからなかった。そしてもう一人、声は聞こえないけれどどうやら会話の筋から部員以外の子がモデルを頼まれたのだと察する。クロッキーをしたくても、夏休みの校舎内で適当に人を捕まえて描かせてもらうなんてなかなか難しい芸当だ。ならば初めから知り合いに声をかけるのは賢いやり方だと思う。
「ちょっと、いいから動かないで。描けないじゃん」
なかなか楽しそうにやっているらしい。私はパレットを指で撫でながら、彼女たちと自分の絵に対する感情の違い鼻を鳴らす。私のそれも、彼女のように楽しいものであれば私はいくらか絵を好きになれたのだろうか。なんて、今更過ぎる未練がましい考えに小さくかぶりを振り、椅子から立ち上がって、パレットを擦るたわしに力をこめた。こうやってすぐ皮肉れる私の性格では、なにをやっても彼女たちのようにはなれないのだと、そんなこと嫌と言うほど思い知っていた。
絵の具は結構な時間をかけて完全にパレットから洗い流された。私の酷使された指は水でふやけ、たわしを巻いていた針金の線が手のひらにくっきりと残っていた。たわしで目に見えないいくつもの傷をつけられたパレットは、再び絵の具を置いた途端その傷に色が入り込んでまた私を煩わせるのだろう。
けれどとりあえずきれいになったそれを誰のものかわからない干しっぱなしのタオルで水気をふき取り、窓枠に干しておいた筆と水入れを持ってドアノブをひねる。さっきから無言で、ときおり紙をめくる音だけ聞こえていた室内にどんな絵ができているか少しわくわくしながら、私は準備室と実習室をつなぐ扉を開いた。
「おつかれー」
「あ、お疲れ様です」
大小様々な画材が雑然と散らかる美術室にいたのは、鉛筆を走らせる子一人だけだった。学年指定の上履きで一年生だと知る。さりげなく見渡したドアはぴったりと閉じていたので、きっとパレットを洗う水の音でモデルの子が外に出たことに気付かなかったのだろうと察した。私は彼女に近づき、そのスケッチブックを覗く。
「よく描けてるね。さっきの子はもうプール行ったの?」
学校指定の水着の横顔を複数の線で描いたそれは、生々しいくらいの生命力をたたえていた。彼女は口の端を持ち上げて、え?と言う。
「ありがとうございます。でも……さっきの子って誰ですか?」
「誰って、ずっと楽しそうに話してたじゃん」
「やだ、からかわないで下さいよぉ」
「そっちこそ、なんかからかってない?」
「でも……私ずっとぼんやり絵描いてただけですよ。内側から鍵もかけてたし、誰も出入りしてません」
なぜか噛み合わない会話に私は頭をひねる。彼女が見も知らない私に嘘をつく理由はない。けれど私が聞いた声は確実だ。それでは、なぜ私たちの間でそんな齟齬があるのだろう。
「ちょっと待って。……じゃあ、これ誰?」
私は彼女のスケッチブックを示す。すると彼女は嬉しそうに「ああ、その子ならここにいるじゃないですか」と彼女の椅子の正面を指差した。
私は彼女の指すほうを見てから彼女を振り返り、その自信にあふれる笑顔をみて口を噤んだ。私には、彼女の視線の先に見えるはずのその姿は見えなかった。この美術室は彼女と私二人だけの密室だった。
040
先輩の教室に潜りこむのは何度目だろう。校舎は学年ごとに階層が分かれていて、運動部でもない限りほぼ余所の学年の廊下を歩くことはない。まして自分は帰宅部だ。幼い頃からの知り合いがいるわけでもなければ、当然姉妹がいるわけでもない。一応先輩に呼ばれたからと言う大義名分はあれど、それでもやはりなんとなく居心地の悪い気がする。私は下校のピークを過ぎた廊下を、なるべく目立たないようにと背中を丸めて先輩の許へ向かった。
「あ、きた」
私が教室の中へ向かって小声で声をかけると、先輩は笑顔で振り向いた。そして話し込んでいた人に断りもせず私へ小走りで走り寄る。まってたよー、と言いながら、先輩はドアの傍で突っ立ったままの私のシャツを少しだけつまんで教室に引き入れた。ふとなんだか、先輩の頬がほんの少し赤いような気がしたけれどいつも通りの先輩だったので特に気にも留めなかった。
さっきまで先輩と話していた数人のグループは私を確認し、「あ、この子が待ってた子? じゃあ、私ら帰るから」と、そう言って立ち上がる。どうやら先輩が私を待つ間に先輩の相手をしてくれていたようだ。バイバイといいながら先輩に手を振る彼女らに私も頭を下げ挨拶をすると、彼女たちは「とんでもないのに引っかかったねえ、でもがんばって。悪い子じゃないから」と口々に私に声をかけた。
私は意味がわからずとりあえず先輩を見下ろしたら、先輩は「余計なこと言うなバカ!」と、珍しく語気を強めていた。
「どうしたんですか。先輩」
「あああ、うん。なんでもない。なんでもないんだよ」
「……その言い方、すっごい気になりますよ」
「だから、気にしないでぇ」
そう言って先輩は席に着く。机の上に置いた鞄を抱きかかえて顔を伏せ、一人でじたばたともがいた。
私は先輩のそれを眺めながら、しばらく様子を伺う。先輩はんーとかにゃーとかよくわからない言葉を呟く。私は先輩の小さな頭を見下ろしてよくわからないけどかわいいなあなどと思っていた。
「先輩、何か用があるんじゃなかったんですか?」
私がそう言って先輩の頭を撫でると、先輩はびくりと体を硬直させた。私は乱暴だったかと慌てて手を引っ込める。とっさに謝りながら先輩を伺うと、髪の間から見える耳がじわじわと赤くなっていた。
「先輩……?」
私は先輩の目の高さに合わせて床に膝をつく。先輩は観念したようにそろりと視線を上げ、私と目をあわせる。先輩の目は赤く潤んでいた。そして何より、ひどく上気した頬がいつもとは違う様子をありありと窺わせた。
「あの、あのさ。ちょっと聞いてくれる?」
「……はい」
先輩は背筋を伸ばすように椅子に座りなおし、そしてわずかに乱れた髪を押さえた。ふわふわの髪が先輩の手で撫で付けられてきれいに整う。先輩はひとつ咳払いをし、胸に手を置き深呼吸した。
そして、真剣な眼差しを私に向ける。
「あのですね」
「はい」
「私、今までなんか全然こういうこと気付いてなかったんだけど、あ、ていうか、気持ち悪い話になっちゃうかもしれないんだけど、その」
「いいですよ」
「あの、さ。いやほんとに、あんまり重く受け止めないで聞いてもらえると助かるんだけど」
「聞いてますよ」
「ああ、うん。ごめん。そうだよねこんな前置きしたら余計おかしいと思うよね。あーもう」
「大丈夫ですって。どうしたんですか、先輩」
「……わかったちょっと落ち着く。ごめん、すこし待って」
「はい」
「んん、。……その、私、私ね―――」
そして先輩は、真っ赤な顔で私のことが好きだと言った。
私は一瞬理解ができず、けれど目の前の先輩は一生懸命同性についての見解や私に出会って自分がそういう人家も知れないと思ったことや、そしてその感情が間違いなく恋愛としての気持ちだと言うことを説明した。私はそれを半分夢心地で聞いていた。
「とにかく、そういうことです、ので」
「…………」
「あのー……」
私は先輩の声に返事もせず、へたへたと床にしゃがみこんで必死に情報を頭の中で整頓しようとした。まさか先制を打たれるとは思っていなかったので、心の準備がなかったと言うか、あれだけ奔放な先輩に今まで付き合っていたのに先輩はまるで私の気持ちに気付いていなかったのかとか、もしかして本当は気付いていて、私をからかうためにそういうことを言い出したのだろうかとかぐるぐると思考をめぐらせた。けれど考えれば考えるほどまとまらなくなる。しゃがんだ視線の先のリノリウムの継ぎ目をじっと眺めながら、とりあえず落ち着こうと大きく息を吸い込んだ。
ふと顔を上げると、先輩の膝がゆらゆらと揺れていた。落ち着きなくそわそわと動くそれは、明らかに先輩の緊張を代弁していて、そこで私はやっと先輩も余裕がないんだと、これは本当のことなんだと気付いた。
私は唇を引き結び、意を決して立ち上がり、先輩に向き直る。
真っ赤な目で見上げる先輩に返事をし、うなづいて見せると、先輩は泣きそうな顔で笑った。
039
彼女は鞄を下ろすと制服のブレザーを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めながらフェンスへ走る。私は地面に取り残されたそれらを拾い集め、彼女のあとをゆっくりと追う。楽しそうな彼女とは裏腹に、私はいまひとつ彼女に合わせられずにいた。
「ねー、はやくー!」
彼女が遠くで呼ぶ声がする。重い足どりで小走りすると彼女は私の思いに気付きもせずに満足そうに笑った。
「おおお、絶景」
寮の窓から山の上の教会が見えるといったのは私だった。けれど、会話の合間のどうでもいい話題としてぽろりとこぼれた言葉を彼女は拾い上げ、見に行きたいと言った。
私は彼女を拒絶することもできずに、むしろ喜々として彼女を寮に連れ込んだ。そして私に宛がわれた部屋に通そうと意気揚々と彼女の先を歩いていたら、彼女は寮生が洗濯物をもって屋上へ向かっているのを目ざとく見つけた。そしてあろうことに「屋上行きたい!」などと言い出したのだ。
私の浮ついた気分はその一言で萎えた。けれどそもそも彼女がここへ来たいと言ったのは山の上の教会が見たかったわけで、それを無理矢理丸め込んで私の部屋に押し込む気にもなれず、私は鞄を持ったまま彼女を屋上へ案内した。彼女に不信感を抱かれては、元も子もないからだ。
「ぜっけーい!」
彼女はじろじろと視線を寄越す下級生も気にせずに、はしゃいでフェンスにしがみついた。彼女に追いついた私は彼女の荷物を降ろしながら彼女の隣に並ぶ。彼女は教会を見つけたのか不意に黙り込んで、一言きれい、といった。
私はここに来てから洗濯物を干すたびに見ているので、特に目新しい風景でもないそれをぼんやり眺めた。隣の彼女が満足するまでぼんやりしようとしゃがんで携帯を開く。とくに意味もなく風景を撮りながら、何度かそれを繰り返しているうちに、彼女はやっと満足したようで「よし、部屋いこう!」と振り向いた。
すっかり部屋に誘い込むつもりなどなくなっていた私は驚いて携帯を取り落とす。最近買い換えたそれに傷が入っていないか慌てる振りをしながら、彼女に動揺がばれないように心臓を落ち着かせた。あんなに落胆していたと言うのに、いざとなるとこんなに慌てるなんて、自分の小心ぶりに自分で呆れたりした。
あっという間に時間は過ぎて彼女は私の部屋を去った。それは、私の妙な緊張がバカバカしいくらい楽しく過ぎた。
一人になった私は普段の生活に戻る。お風呂を済ませ、夕食をとり、自宅に着いたであろう彼女へメールを打った。ふと、さっき撮った教会の写真を添えようと思いつきフォルダを開く。
そして私は、今日一番の驚きに声を上げる。
無意識のうちに撮影した写真の中に、彼女の長い足が写っていた。私は自分の無意識の恐ろしさに震え、けれどすぐに心の中でガッツポーズをする。そこで、はたと思い留まる。
私はいつからこんな変態じみてしまったんだろうと思うと、遠く離れた親に申し訳なくなる。
―――お父さん、お母さん。私は気付いたらこんな変態になってしまいました。
私はそう懺悔しながら、写真におさまる教会に手を合わせた。
もちろん彼女の写真には保護とパスワードをかけ、丁寧に保存した。
038
「先輩、お誕生日おめでとうございまっす!」
私が手を揉みながら腰を低くして笑うと、彼女は露骨に嫌な顔をした。
「先輩って言ったって、数ヶ月の差ですー。あんたもすぐ同い年だよバーカバーカ」
彼女のあからさまに刺々しい言葉を受け流し、私は笑顔のまま彼女の頭を撫でる。私よりも先に年を重ねた彼女は私の身長を未だに超せないでいた。私は彼女からの蹴りをあえて受けながら「身長は小さいままでちゅねー」と頭を撫でる。すると本格的に彼女はむくれる。きれいな鼻筋に小さくしわを寄せて、私の手を振り払って「身長の話はヤメロ」と悪態をついた。
私はおもむろに座っていた椅子から立ち上がり、目の前の彼女と私の机を動かした。
「ねえ、何やってんの?」
彼女は怪訝な顔で私の様子を見ていた。私は何も知らない彼女の戸惑いに、上機嫌で返事を返す。これは前からやってみたいと思っていたことだった。
さして大きくもない机は簡単に並び終わる。私は意気揚々と彼女へ向き直る。
「寝るんだよ」
「え、この上でぇ? そんなの体痛くないの?」
「痛いかも。でも私じゃないしー」
「ん?」
私は彼女の疑問に答えもせずに強引に彼女の体を机の上に寝かせた。気が強いわりに押しに弱い彼女は、私の腕に押されてあっさりとその上に横たわる。彼女は切れ長の目をまん丸にして、不思議そうな顔で私を見上げた。
「えっなになになになに?」
「大丈夫だって」
「うん、てかさあ、まさかさあ……」
「なーにー?」
二つつながった机は彼女の背中を収めるためには十分だったが、両腕と両足はだらりと垂れ下がって宙に浮いている。
「これで身長伸ばす、とかじゃない、よね……?」
彼女の問いに、私はだいせいかーい、と明るく答える。その瞬間、彼女は怒って上半身を起こしかけたけど、不安定な机の上でバランスを崩しかけ、出鼻をくじかれて、どうしようもなく不機嫌な顔で再び机に横たわった。どうやら観念して私の実験に付き合ってくれるようだ。
「ううう。……これで身長伸びなかったらお前の踵とつむじをけずってやる」
「まあまあ、胸は私より大きいんだからいいじゃん」
私は彼女に覆いかぶさるように立ち、そしてほんの出来心で彼女の胸を人差し指でつついた。彼女は自分のされたことに気付くと顔から耳までを真っ赤にして机のうえで暴れ、今度は本格的に机ごとバランスを崩した。
「わっ!」
「あぶな……っ」
私は慌ててその小さな体を抱きとめた。けれど、どうやらからかいすぎたのだろう。彼女はそっぽを向いたまま口もきいてくれなくなった。私は彼女に笑顔でいて欲しいのに。「いつもうまくいかないなあ」と呟き、私は彼女を抱えたまま笑顔にできる術を考えた。
けれど、腕の中の彼女が一切抵抗しないので、とりあえずいいかとすぐに考えるのをやめたのだけれど。
037
私は重たい瞼を見開いて教室のドアを見た。
そこにいるそれは彼女の姿をしていて、だけど彼女は、昨日の私の目の前で小さな陶器に収まったはずだった。私は混乱しながら彼女に駆け寄る。
「なんで、え……? どういうこと?」
私は何度も目をこする。彼女はそんな私の様子を見て噴き出した。
私は昨日の精進落としの席を、彼女の死の実感も持てないまま過ごした。ぼんやりした頭で夜を過ごし、眠れないまま朝早くに登校して、いないはずの彼女を探した。
まだ日の昇る前の校舎には彼女の姿どころか人影もなく、私は自分のクラスに戻って彼女の名前を呟いた。
けれど当然何の返事もない。私は沈黙に耐えきれずうつむいた。のどがひりひりと痛み、瞼が熱くなる。視界が水の幕に覆われて歪む。それが雫になって落ちたとき、不意に風が私の頬を撫でた。
顔を上げると、彼女が、私のすぐそばにいた。
「だってさー、あんたが心配だったんだもん」
彼女はドアに寄りかかりながら、いつものように、最後に見たときと同じ顔で笑った。
「ちょっと待って……え? 私、よくわかんない。何でここにいるの? 生きてたってこと?」
「ううん。んー、いや。多分だけど私、一応死んでるんだよねぇ」
「え、ええ……?」
彼女は「私も実感ないんだけど」と言いながら首をかしげた。その顔はなんだか楽しそうだったし、悲しんでいるようにも見えた。
「でもねー、足はあるんだよホラ」
「……うん」
彼女はスカートスカートの端をつまみ上げる。私の記憶と一切違わない長く伸びた足は、ローファーの爪先まではっきりと見ることができた。彼女はいたずらっぽく笑って、その場でくるりとターンする。おかしなことに、遠心力で持ち上がるはずのスカートは一切揺れず、硬い靴底も足音さえたてなかった。その違和感で彼女との距離が遠いことに気付かされる。声も姿もすぐ目の前に感じるのに、今の私には、彼女がなにを思っているかさえわからなかった。
「ねえ!」
焦燥感から私は必死で彼女に向かって声をかける。本当は彼女に触れたかった。だけどもしこの腕が彼女をすり抜けてしまったら。そう思うと、怖くて指を伸ばせなかった。
「え、なに。どーして泣くのぉ」
「そ、そんなこと……当たり前だよぉ」
滲む視界で彼女が困った顔をした。困らせたくないのに、私は彼女を引き留める言葉しか見つけられなかった。
バカみたいに笑ってケンカして電話して仲直りして、今までのその日常が欲しくて、私は涙を零して彼女を求めた。
「だって、なんで……。何で私の傍からいなくなっちゃうの。私あんたのことがすきなのに、まだ全然、あんたとしたいこといっぱいあったのに。ねえ、まだ私と友達でいてよぉ……」
「あは、泣き虫め。……大丈夫、だーいじょうぶ」
彼女は泣きじゃくる私の頭を撫でるように手のひらを翳した。その手は何の感触も伴わずに私の頭上で揺れる。私はもどかしくて悔しくて悲しくて、涙を止めることもできなかった。
僅かな沈黙の後、ふわりと冷たい風が吹く。「私は」と彼女は口を開く。
「私は、今更何言っても悲しませるだけかもしれないって思って、本当はここに来たくなかった。でも泣いてるあんたを……見て、」
「…………っ……」
「……ごめん、嘘。あんたが心配なんて、そんなの言い訳なの。私、あんたに会いたかっただけだった。あんたと一緒に生きて、ずっと友達でいたかった」
「なら、ねえ。傍にいてよ」
「ううん……うん。でも、だけど、もう……」
彼女は震える声でそう言って、手のひらで瞼を覆って黙り込んだ。
薄暗い教室の中で、私たちはお互いの涙も拭うことさえできずに、ただ向かい合って涙を流した。一人分の嗚咽が空しく教室に響いた。
「……もう、行かなくちゃ」
しばらくして、彼女はそう言って顔を上げた。私に向かって、泣き腫らした赤い瞳で無理に笑ってみせる。私はその笑顔を見てまた涙があふれてきてしまって、どうしようもできずにぼろぼろと泣いた。
彼女は私の頬の涙を拭うようにそっと私に腕を伸ばす。瞬間、まるで彼女の手のひらのような温かい風が吹いて私の頬を撫でていった。私はいてもたってもいられず彼女の名を悲鳴のように呼び、触れることのできない彼女へ腕をいっぱいに伸ばした。
そして彼女はいなくなった。
もう、いくら彼女の名前を呼んでも、誰も何も現れることはなかった。
彼女はこの世から旅立った。私は一人教室に残されて、ただずっと涙を零し続けた。
036
「ここにいたんだ」
私は安堵の息を漏らす。彼女は枕代わりにしていた鞄から首をもたげ「え、探した?」と言った。私はその言葉に一瞬不貞腐れそうになったが、上履きを脱ぐ間に、そういわれればなぜ彼女の姿を探していたのか自分にもわからないことに気付き口を噤んだ。
畳敷きのこの部屋は部室棟にあった。けれど琴部・華道部・茶道部などが交互に利用するので普段は鍵が掛かっていない。グラウンドを挟んで面する校舎の白壁に反射した日差しが差し込んでいて、大きな窓からの風通しもよかった。くつろぐにはもってこいだ。
そもそも彼女は学校の中で居心地のいい場所を見つけるのが得意だ。そしてそこで彼女は時間を気にもせず眠る。まるで一番温かいところを探し当てる猫のようだ。彼女の見つけ出したここは当面、人知れず彼女の寝床になるのだろう。
彼女は、私と出会うまで時折戸締りをする教師に起こされて真っ暗な帰路を辿ったと言う。もしかして一晩学校で過ごしたりしてないよね?というと、彼女は曖昧な笑顔で誤魔化したので、怖くなって私はそれ以上追求できなかった。
「探したよ」
私は彼女の傍に座った。彼女はえーごめん、と言いながら起き上がろうとした。予鈴までまだ時間はあったので、私は彼女にまだ大丈夫だと告げもう一度寝かせた。
「あーでも、ここすっごい快適」
「でしょ。わたしもー何時間経ったかわかんないくらい寝てる」
「え……一体いつからここにいたの?」
「うーん。ご飯食べてから」
「ご飯食べたって、何時のことよ」
「……3時限目かなぁ」
「バッカじゃないの?!あんたただでさえ遅刻多いのにサボったりしたら、マジで夏休みなくなるよ!」
「わぁ!すいません!」
「何で私がいちいち朝あんたの家に行ってると思ってんの」
「え? ……あー、それ考えたことなかった」
私の気遣いも空しく、彼女はおどけるように笑った。
「うーん。てことは、私が夏休み一緒に遊ぼうって言ったから、遅刻ばっかする私の世話焼いてくれたとか」
「え、あれ?そなの。私てっきり夏休み遊ぶの何回かだと思った」
「……うん?あ、そっか、まさか補習夏休み中毎日あるわけじゃないもんね」
「ああ、うん。いやでも、毎日遊びたいならそれでも全然いいよ。家近いし。そうか、じゃあ宿題一緒にやろ」
「ちょっ、ちょっとまって。なんか私ものすごいうぬぼれてたような気がするんだけど」
「は?どこが?」
彼女は急に体を持ち上げて両手を振った。心なし顔も赤いような気がする。私は意味もわからず彼女の額に手をやって「熱?」と訊いた。彼女は急に動きを止め眉を下げた。
「あれ、本当に大丈夫?顔真っ赤だよ」
「そ、あの……。なんでなのぉ?」
彼女は小さな声で呟くと額に当てた私の手からすり抜けるように顔をうつむかせた。私は訝しんで顔を覗き込んだが、彼女の表情は伺えない。私は開いた間を埋めるように話を戻す。
「そういうさぁ、補習とか遊ぶ時間がなくなるからとかじゃないし。あんたが心配なの、ほっとけないの。まあ、遊ぶ時間がなくなるのはつまんないから、もちろんそれもあるけどさ」
彼女は一方的に話を続ける私から目を逸らしたまま起こした上半身を倒し、再び鞄に頭を置いた。そしてチャックの開いたままの鞄に頭を突っ込んで頭を隠す。私は彼女の間抜けなその姿がおかしくて、なにしてんの、と笑いながら彼女の体をつついた。
彼女は爪先で触れる私の指に体ををよじり、そして鞄から潤んだ瞳を覗かせて私を睨んだ。
「うん?なんだぁ?」
彼女は機嫌よく尋ねる私の声に「なんでもない」と言った。けれどぶっきらぼうな態度とは裏腹に、鞄ごと私の腿に体を寄せてくる。彼女の行動の意味はよくわからなかったけど、なんだかそれがすごく愛おしいような気がして、私は彼女のやりたいようにさせた。
よく眠るはずの彼女は、予鈴がなるまで私にくっついたまま私にバカとか鈍感とか言い続けた。私はそれさえもたのしくて、彼女の鞄を覗いたり、その頭を撫でたりした。
035
両肩で揺れる髪の毛が汗で張り付いてうっとおしかった。けれどそんなことにもかまわず私は階段を駆け上がった。まだ校舎には人影も少なくて、学校には運動部くらいしか人の気配はない。だけど私は確信を持って一段一段を蹴った。踊り場でターンするたび、麻の混ざった夏用のスカートがふわりと軽く翻える。高揚する気持ちに呼応するように、私はあっという間に三階建ての校舎の最上階までたどり着いた。そこで私はようやく足を止める。ぐしゃぐしゃになった髪の毛やスカートを手で整えて、汗を手の甲で抑えながら大きく息を吐いた。きっと教室には彼女がいるから、私はうまく事が運ぶように振舞わなければならない。
汗を拭っていた手の甲が不意に唇に触れる。私は、また昨日のことを思い出した。
「おはよー!」
思ったとおり、彼女は教室にいた。私は彼女に手を振って教室を進んだ。私の席は彼女の隣だったから、当然のように彼女との距離も縮まった。
「あれ、早くない?」
彼女は私が拍子抜けするほどいつも通りだった。けれどそれも想定内だった。私は彼女に軽くかまをかけるように「だってこの時間に来たらあんた絶対いると思って」と言った。それでも彼女は揺るがなかった。
「え? なんか用だった?」
「……用って言うか、昨日夕方目が冷めて居間に行ったらお母さんがあんた来たっていってたから。ごめんね、私全然気付いてなかった。爆睡」
「ああ、そんなこと。ぐっすりだったから起こすほうがかえってまずいかなーと思ってさ。あ、そうだお土産食べた?」
彼女の言葉が期待していた答えとはまったく違っていたことに私は拍子抜けする。あえてその話題を避けているのか、それとも本当に素なのか、舞い上がっている私には彼女の意思が掴みきれなかった。
「ゼリー。食べた食べた、ご馳走さまでした。てかさ、なんか寝てる間超暑くて、目が覚めて布団みたら窓から日差しが直撃してたんだよね。おかげで喉カラカラだったから、あんたのお土産ほんとおいしかった〜」
「そっか。いいんだよ、ゼリーのお礼に帰りに何か奢るとかしなくても」
「うん? あ、アーアー。聞こえない」
「私たい焼きでいいよー!たい焼きたい焼き!」
「聞こーえーまーせーんー!!!」
私たちはいつもの通りの戯れるような会話で笑う。けれど私は内心、私の興奮が彼女には伝わらなかったことにもどかしさを感じる。
「で、風邪はもう大丈夫なの?」
彼女は私の体調を尋ねた。私が鞄を下ろしながら「ばっちりばっちり」と言って両腕を振り回すと「おお、さすがバカの回復力は違うね」と彼女は笑った。私はあまり嬉しくない褒め言葉に「それは否定できないです……」と口ごもる。夏風邪は古来から馬鹿がこじらすものと相場が決まっていたからだ。
「あ、でも、まだ本格的な夏じゃないから。私バカの中でも流行最先端だし!」
「そっか、すごいねバカ」
「…………」
彼女の辛辣な言葉に私がぐうの音も出せないでいると、彼女は噴き出してまあ座れば?と言った。私は腕を振り回すついでにどんどん体全体を動かし、大きくストレッチを始めていたからだ。
「あ、そーいえばさあ」
彼女はどこまでもいつも通りだった。だから、もしかしたら彼女が私に口づけるなんて夢は本当に私が見た夢だったのかもしれないとさえ思った。今もそれを鮮やかに思い出せるほど私の唇は彼女の触れ方を覚えていたけれど、それも私の願望が見せた夢だったのかもしれない。
私は今日決着をつけてしまうことをすっかりあきらめて、左右に揺らしていた上半身を元に戻しながら彼女に訊ねた。
「昨日、家にきたとき何か言った? 私、あんたの夢をみたんだけど」
そこでやっと彼女は揺れた。彼女は私の問いに答えなかった。ただ静かに笑って首を傾げるだけだった。
私は明朗なはずの彼女のほころびに、この後なんて言えばいいのか今更ながら戸惑った。ここで昨日の夢の話をしてもいいのだろうか。彼女はどんな反応をくれるのだろう。さりげなく目を向けた時計はホームルームが始まるまでまだ随分と余裕があった。時計から目をはずすと再び彼女と目が合う。
私は彼女にすべて打ち明けてしまいたい衝動を抑えながら、彼女の目を覗き込んだ。